暮らし方の選択

どーも、なかなか仕事が納まらないかすやです。

毎年こんな感じなんだけど、そろそろきちんとon-offを分けなければと思っているので、来年の目標にすると宣言します!! いつまでもダラダラと仕事しない!!笑

 

さて、今回も八重山の話をしたいと思います。

西表島の話を前回書いているんですけど、たくさんの方から色んなご意見を頂きました。有難うございます!!

今日は与那国島。

 

 

与那国島には石垣島から飛行機で30分。生きているうちに1度は与那国島に行きたいよなぁなんて思っていたんだけど、まさかこんな形で実現するとは思っていませんでした。

与那国島から台湾まで約100km。ウルトラマラソンレベルなので、陸だったら走れば12時間くらいで行ける?距離だね笑。今年の7月に3万年前の航海を再現するというプロジェクトで台湾から与那国島まで丸木舟で2日かけて渡った人たちがいるみたいですが、すごいですよね。

与那国島では、3人の方のご自宅に訪問させて頂いたのと、保険センターで役場の方達に東京での取り組みについて話をする機会を頂きました。

 

 

空港に着いたら役場の方が迎えに来てくださって、そのまま利用者さんのご自宅へ向かいました。長命草とパクチーを栽培して生計を立てている方で、お庭にも長命草がありました。僕はこの野菜のことは知らなかったんですが、伝統的な島野菜なんですって。資生堂から化粧水や健康ドリンクが販売されているみたいで、美容に良いみたいです。

初めて見たって言ったら、食べてみろって庭に生えているのを千切って差し出して下さいました。そのままパクリ。僕はこういう手の物は好きなので美味しかったですよ。苦味はあるんだけど、ほんのり甘みもあって、まさに身体には良さそう!!って感じでした。

訪問している最中に近所の猫が入ってきて、台所で何やら物色していたんだけど、追い払う様子もなければ、全く気にされていないんです。

ご自宅は沖縄の伝統的家屋で玄関というものがないんですよ!知ってました!?

一番座、二番座、三番座、裏座というつくりになっていて、どこからでも誰でも入れるようになっています。基本的にどの家も戸は開けっ放し。猫さんだろうが虫さんだろうが、基本的には一緒に暮らしています。あと特徴的なのは浴槽がなくてシャワーだけなんですね。

 

伝統家屋の事が書かれているサイトがあったので載せておきます。

http://oki-park.jp/kaiyohaku/inst/80/82

 

午前中の予定はこれで終わりだったので、ランチへ!!

与那国島には祖納、久部良、比川という3つの集落があります。この日は、役場があって一番多く人が住んでいる祖納にある食堂に連れて行ってもらいました。

メニューは与那国そば!!

基本的には沖縄そばなんだけど、ここではパクチーが付いてきます。与那国島ではパクチーがめちゃくちゃ生産されています。というか普通に道に生えている。笑

ここのパクチーは基本的には島外には出ず、島の中で消費されているみたい。島の人たちは口を揃えてツナ缶と和えると旨いぞ!って言っていたので今度試してみよー。

という事で、めちゃくちゃ旨かった!!

次の予定まで1時間ほど時間があったので、一緒に行った池田さんが保健センターの車を借りて島を一周案内して下さいましたよ。

 

この日はやや雲が多かったので、海は石垣島と西表島で見た海ほどの感動はなかった。日本最西端の西崎では晴れていれば台湾がドーンって見えるんだって。その前の週に行っていたから見えるかなーって楽しみにしていたんだけど、今回は見えず、残念。。

この島はほとんど人工物が無くて、普段人工物に囲まれて暮らしている自分からするとすごく違和感だったな。誰もすれ違わないし牛や馬が普通に歩いている。ふと考えると、地球じゃないどこか違う惑星にいるんじゃないかっていう錯覚をするほどでした。

午後のお仕事は保健センターで役場の方達へのプレゼン。府中での取り組みを紹介させて頂いたんだけど、ちょっと難しかったというのが正直な感想。

島ではお互い様、所謂、ゆいまあるの文化が根付いていて、子供とかお年寄り、医者だろうが先生だろうが、集落に住んでいれば、そこで暮らす1人の人。普段から暮らしている中で、困っている事があれば、井戸端会議などで話をする中で自然と共有している。

そんな場で僕らがやっている事をプレゼンするのは、ちょっと難しかったなぁ。この間の台湾と一緒で、もう少し文化を勉強していけば良かったと反省。。

そんな拙いプレゼンではありましたが、いくつか質問も頂き、たくさんの気付きがありました。ありがとうございました!!

 

 

その後は2人のご自宅に訪問させていただき、自主トレ、装具、生活動線の確認をさせて頂きました。

1人は病院から退院してきたばかりの方で、おそらく東京の感覚だったら自宅退院は難しいと専門職の間で判断されてしまうような方でした。

というのは、ご自宅は100年前に作られた沖縄の伝統家屋。家の中は段差だらけです。そして、使える介護保険サービスはサービス提供者がいないためほぼ無し。

介護保険は持っていますか?と、いつもの癖で聞いてしまったのですが、不用意でした。

身体の状況から推測して、退院時に申請しているだろうという、僕の中でのいつもの感覚があったのですが、ここでは違う。その後に、役場の方から持っていても使えないんですよと言われ、頭の中は一瞬???となりました。

デイサービスはあるけど1つしかないので選択肢がない。定期的に使える訪問介護や訪問看護、訪問診療などの在宅サービスはありません。福祉用具のサービスもないので、東京みたいに何でもかんでも危ないから手すりを付けよう、電動ベッドや車椅子が必要だから明日持ってきてもらおうなんて事は出来ない。

 

そんな環境でも、それぞれがそれぞれの暮らしをしている。

 

足りないものは自分たちでつくる。それが無理だったら隣近所の方に手伝ってもらう。それでも無理だったら役場の人にお願いする。それでも無理なら、本島からのサポートをお願いする。

 

僕も含め、東京で暮らす人たちの感覚とは逆。

 

まず、大抵の人が公的機関に頼る。それで無理なら自分たちでやるというのではなく、公的機関への批判だったり、有権者に頼る。そして、有権者が頼れないと分かったら有権者への批判になり別の人を頼る…。

これを繰り返しながら、いつも誰かのせいにして暮らしているのが、東京で暮らす大抵の人たちなんじゃないかなと、感じました。

 

公的機関も制度という枠にはめ込んでいった結果、過保護になって、自分達で自分達の生き方を考えられなくしている。

何が幸せで何が幸せじゃないのか、今の状況は楽しくないから自分で生き方を決める。

そんな思考がここ数十年の間で希薄になってしまっているのかなって改めて感じました。

 

 

それでも時は常に流れています。

東京は東京の、府中は府中の暮らし方がある。そこでの日々の変化を楽しみながら、変わらないものと変わるものを判断して、暮らしていこうって思えた与那国島でした。

また機会があったら行きたいと思います。

皆さんも是非。