曖昧な空間と関係性が好き

思考をフル回転させた11月が終わろうとしています。

上旬は思考が止まらないと嘆いていましたが、それに慣れてしまったのか止まったのかは分からないんだけど、今は何も感じていませんwww 今週は21時以降に何もない日が3日あるので、少し安心しています。と書いていたら、明日の夜はMTGになりましたぜ。

 

さて、今日は、先週の金曜日のイベントの振り返りをしたいなーと思います。

参加者は60人弱。

ほぼ初めましての方でしたが、中にはSNSで繋がっているけどお会いした事のなかった方が何人か参加されていたので、ご挨拶させて頂きました!

 

ブロムリー・バイ・ボウ・センターの概要は、先週書いたこちらで↓

Equityと社会包摂と…

と言っても、ブロムリー・バイ・ボウ・センターを知るには自分が書いた内容だけではあまりにも情報が少なすぎる(ということが今回のイベントで分かりましたw)ので、イベントの様子を概要とともに振り返りたいと思います!

 

この日のイベントは20時から。

ノー打ち合わせで広石さんや藤沼先生とお話をするなんて怖すぎるので、広石さんと1時間弱くらい打ち合わせの時間を取っていただきました。打ち合わせというより自分の近況を聞いてもらっていた感じで、この時間がとっても良い時間だったので、また別でお話した内容を書きたいと思います。

広石さんから発信した方が良い!って言って下さったものがあるので、まとめて書きますね。

 

振り返りの前に、藤沼先生はポッドキャストの番組を持っているんですが、4月に広石さんとシン・エヴァについて対談をしているのでシェアしておきます。前期の授業の際にエヴァの話をしたって聞いていて、まさかそのお相手が今回ご一緒させていただいた藤沼先生だとは26日まで気づいていなかったので、かなりの驚きでしたw

 

さて、イベントの話をしましょう!

流れは↓

①広石さんから今回の趣旨の話

②僕から今やっていることと、ブロムリー・バイ・ボウ・センターに興味を持ったきっかけの話

③藤沼先生を含めて参加者さんとも一緒にトークセッション

 

②をざっくり書くとこんな感じ。

・広石さんのコラムの中に書いてあった、モーソン牧師の「医療や福祉を語る時、公平や平等を論じたがる。」という言葉がとても印象に残った。地域の中で医療や福祉と関わっていると、公平や平等では語れないなと感じることが多くあって、特に人の生死に関して。そこには、泥臭さとか青臭さみたいな、とても綺麗事では語れないことがあると思っている。

・ブレア政権が掲げた第3の道があったからこそ、コミュニティの発展に繋がったのか?

・英国初の保健センターがブロムリー・バイ・ボウに出来たこと。医療や暮らしを軸にしたからこそ、このような発展に繋がったのか?

・PPPという施策に関して。日本で行われているPPPは公民のパートナーシップとは違う気がする。協働と謳っているけど、まだまだ市民vs自治体みたいな構造があって、対話が出来ていない。お互いが本音で話す場がつくれていない気がする。

 

こんな話を前段でさせていただき、ブロムリー・バイ・ボウ・センターの話に移っていきました。

この間のblogと重なるところもありますが、背景から話をしていきましょう!

 

・1984年にモーソン牧師が当時スラムだったブロムリー・バイ・ボウ地区に赴任。

・街の状況を見たモーソンさんは困っている人たちに何か出来ないかと考え、教会に住民を集めて話を聞くことをはじめようとする。

・チラシを撒いて参加者を募ったが、何度やっても誰1人として教会には来なかった。

・教会周辺の家を1軒1軒訪ねて周って話を聞くようになる。

・ある住民にこんなことを言われた。「この街に住みたくて住んでいる人は誰もいないよ。」と。

・そんな中、教会に1人の人が訪ねてきて、「ボートを作りたいから教会を貸してもらえないか?」という要望があった。

・これを受け入れ、場所貸しを始めたところ、次々にボートを作りにくる人が増えていく。

・モーソンさんはボートを作りに来た住民と話をするようになり、そこで色んなニーズが拾えるようになった。

・これをきっかけに、アトリエやダンス教室、託児所などが増えていき、ここでモーソンさんはある提案をする。

・その提案とは、一方的な利用ではなく、パートナーシップを結ぶこと。

・利用者から場所代を取り、少なくとも事業として成り立たせることで、その場を使う人に社会起業家になってもらうことだった。

・福祉ではなく、パートナーシップを結ぶことをした。

・それから次々と事業が立ち上がり、今では900の事業がある。

・英国初の保健センター、行政窓口、不動産窓口など人の暮らしに最低限必要なところが中心となっている。

 

ざっくりと概要を箇条書きで書きましたが、この話を聞いた時に、FLAT STANDのはじめ方と似ているな〜と思ったんです。もちろん、規模は全く違いますが、行動の仕方やきっかけなどが僕らがやってきたことと重なりました。

この話を聞いた時に、FLAT STANDのはじめ方と似ているな〜と思ったんです。もちろん、規模は全く違うけど、行動の仕方やきっかけなどが僕らが動いてきたことと重なりました。

FLAT STANDをはじめたきっかけは、会社を立ち上げる前に経験したある出来事がきっかけでした。

某大学で開催された街の情報誌を作るワークショップに参加した時に、あまりにも悔しすぎて、逆に開き直ったという経験をしました。(またこの話か!って思う人は飛ばしてくださいw)

それは、ワールドカフェ方式でのワークショップだったんですが、自己紹介の際に「理学療法士をやっています。何かお身体で困っていることはありませんか?」って話をした時に、一緒のグループだった方から「あんたたちは病院の者だろ。まずは地域のことを知ってからそういう事は聞くもんだよ」と言われてしまったんです。

ちょうど同じ時期に、当時務めていた会社の目の前に喫茶店があるんですが、そこで地域の方達を集めて定期的に座談会を開いていました。この座談会の目的は、まちの方達は自分の健康についてどんな風に考えているのかを知ることでした。

そこでは、「私は健康だから大丈夫、ジムに行っているから病気知らずよ、介護保険って何?」というような話を聞いていて、この方達が言っていることは本心なんだろうかという疑問があり、なかなか本音を聞くのは難しいなというのがその時に感じたことです。

ワークショップの時に言われたことが、その疑問に対するヒントなんだろうなと思いはじめました。医療や福祉の専門家として話をするから、ケアをする人とケアをされる人という関係をつくってしまっているんだろうという考えになり、自ら壁を作りに行っていたんだと気づきはじめました。

医療とか福祉の専門家とかそんなの関係なく、そこで一緒に暮らしている1人の人として街の方達と関われば、きっと本音を言ってもらえるんじゃないかって思ったのが、FLAT STANDをはじめたきっかけです。なので、医療や福祉ということは一切謳わないということを決めてはじめました。

 

2016年にFLAT STANDがはじまりましたが、カフェをやるって決めてからからオープンまでは3ヶ月くらいしかなくて、ほぼ勢いではじめたようなもんでした。あの時のスピード感は半端なかったですねw

周りからはどう見えていたか分かりませんが、かなり危ない橋を渡っていたと思います…。

「これで社会は変わる!」って本気で思っていましたから。

今は、あの頃よりさらに強く思っていますw

間に自分の話を挟んでしまいましたが、ブロムリー・バイ・ボウ・センターの背景を聞いていて、自分がやってきたこととすごく近いな〜って思ったんです。もちろん、900もの事業はないですし、雇用を生み出すことはしていませんが、ここがポイントなんだと思います。

 

事業をやっている中で、「コミュニティが醸成されてくると、中のつながりが強くなり排外的になってしまうのではないか」という課題感を持っています。また、人の環境だけでなく、お店や場などモノやコトの環境によっても、中に入ることが出来ないコミュニティが出来てしまうのではないかと。

ブロムリー・バイ・ボウはこのようなヒトモノコトの関係はどのようになっているんだろうと、トークセッションの中で広石さんに投げて見たら、すごく興味深いことを仰っていました。

「それぞれが事業として運営していているので、人のつながりが目的ではなく、商品やサービスを求めて人が外からやってくる。ブロムリー・バイ・ボウでは、社会的なことだけではなく経済を回すことをしているから、外に開かれたコミュニティになっている。」

この話は研究のヒントにもなりました。

「経済と社会は一致しているのに、両方を見ようとしない。」

これがまさに経世済民の考え方で、実践例なんだろなーと腹落ちしました。

 

他にもたくさんのお話が出ていましたが、もう一つだけ。

ここは僕らも意識しているところなんですが、コミュニティの場は「曖昧な空間や関係性」が重要だという話になったんです。

これを僕らに引き寄せて話をすると、未完成の場づくりという表現をしています。

将来タマレをどうしたいんですか?って良く聞かれますが、僕自身もわかっていません。

目指したい社会はイメージできていますが、その場だったり、ヒトモノコトの関係性がどうなっていたいかは、はっきりと見えていないです。

 

まちの中のモノコトで考えた時に、最初から完璧なものをつくってしまうと、時間が経つにつれ人の暮らしに合わなくなってくるのではないかと思います。結果として、人がハードに合わせて暮らすようになり、いずれ使われないものになってしまう。

別の見方をすると、人がモノに合わせて暮らすことで効率化や合理化を重視するようになり、自分のことを考えなくなるのではないかという考えもあります。

「自分にとって何がしあわせなんだろう、自分にとってのおいしいってなんだろう、自分にとっての嫌なことってなんだろう。」こんなことを考えるきっかけが少なくなっている気がするんです。

曖昧にすることが良いことなのか?って聞かれると、それもわからないんだけれど、1つ言えることは、答えをすぐに出すのは好きじゃないってこと。

これは自戒の意味を込めて。

何でもかんでも、すぐに答えを出したがるのが、医療福祉関係者には多いんじゃないかなって思います。人の命を扱っているという職業柄もあると思いますが。

 

時間をかけて対話を繰り返すことで、お互いの価値の境界線が曖昧になってくると思います。答えは出なくても、その時々で、お互いの「ちょうど良いところ」に着地することが大切なことなんじゃないかなーって思っています。

平時にこれをしておくことで、有事の際にすぐに判断が出来る。ACP(人生会議)もこういうことだと理解しています。セミナーとかで手法ばかり取り上げられているけど、大切なことはここなんじゃないかな。

人の気持ちは社会の状況や人のライフステージによって、常に変化し続けている。だから曖昧な空間や関係がちょうど良くて、何かあった時のために日々の対話が大切になってくるんだと思います。

 

という感じで、最後は自分の思いを書かせていただきました。

とっても楽しい時間でした。ご一緒させていただいた、広石さん、藤沼先生、ありがとうございました!!

参加してくださった皆さんもありがとうございました!

では、また〜〜!!!