how messing around
佐伯先生が”とをが”に来るで〜。
とをが共同主宰の熊井さんからメッセンジャー でお誘いがあって、先々週の土曜日にしげをと一緒に行ってきました。
とをがと熊井さんに関しては、僕から説明すると薄っぺらくなるのでリンク貼っておくw
行って欲しいし、会って欲しい人とだけは言っておく!!
熊井晃史さん:https://www.facebook.com/groundlevelinc/videos/1559329520892996/
さて、佐伯先生のお話です。
最近、しげをの影響で学びって何だろう、遊びって何だろうってことに何となーく興味が向いていて、本読んだり、人と話したり、自分の日常に置き換えて暮らしてみたりしています。
今回は”こどもの遊びや学び”をキーワードに佐伯先生と熊井さんと、もう1人の主宰である渡辺さんの3人の対話を、良い意味でモヤっとしながら、めちゃくちゃ興味深く拝聴しました。
”深い学び”という話題から3人のトークがはじまりました。
”深い学び”は文科省が出している新指導要領にあるワードです。
深い学びってなんだ?
なんだと思います?
分かんないですよね。
きっと誰も分からないと思う。
どこにも答えがないからね。
生徒から深い学びについて聞かれても違うって否定してしまう。
そして答えられない。
その繰り返しによって、子どもたちの自信を失くさせているんだよ。
冒頭にこんなやり取りがあったお陰で、聴くための軸が定まりました。
その後の話がすごく聴きやすかったです。
出てきたワードを並べるとこんな感じ。
・文化的実践への参加
・格助詞
・データは欲しがっている
・ごちゃごちゃの中からルールを見つける
・整っているものを与えるのはどうかと思う
・想定外という世界を楽しむ
・教え主義を外す
・how messing around
・評価
そもそも子どもたちにとって評価って何なんですかね。
子ども向けに作られた枠?
学校ではこの枠内にはまっていることが大前提になっていて、枠から外れると所謂、問題児とされてしまうことが多いのかもしれません。
定量的に測られる定期テストの点数が良ければ評価が良くなるし、これによって内申点を稼ぐことが出来て、良い高校や大学に行ける。
FLAT STANDにいると、子どもたちと話すことが多いんだけど、「○○くんは頭が良いから僕は叶わないよ。先生からも褒められているし、僕なんかダメダメなんだ。」って話をしてくる小学校6年生がいるんです。そんな彼も、定期テストではどの科目でも平均9割は取れているんですよ。
先生や大人の物差しの殆どが点数なのかな。点を取れば周りの人は喜んでくれるから、良い点をとって褒められたいという思いが、彼だけじゃなくて、子どもたちの多くが持っているように思える。
振り返ってみると自分もそうだったかなぁ。
特に数学。
パターン化しても解けないから、いつも答案には色んな式や図がぐちゃぐちゃに書いて、色んな過程を試していたんだけど、苦労して解いて答えが合っていても、過程が間違っていると×にされる。
納得がいかない!ってことで数学は嫌いだった。
中2の時に赤点とって親が学校に呼び出されたんだけど、流石に申し訳ないって思ってそこからちゃんとやるようになった。
その後は4か5しか取らなくなった(ちょっとだけ自慢w)んだけど、これも今考えて見れば親のために数学をやっていたようなもんだよね。
話を戻す。
僕から見た小学校6年生の彼は、同級生の中では圧倒的なリーダーシップを持っていて、(めちゃくちゃワクワクしながら)自らイベントを企画して自ら動いている。
そして、おそらく本人はここに気付いていない(と思う)。
何が言いたいかというと、学校では先生たちの意図を先取りする子どもたちによって授業が進められていて、これにより子どもたちが活発に発言しているような風景が出来上がっているのかもなって感じた。
きっと、これは家庭でも一緒。
Co-study space posseの主宰をやっている昴が、子どもは学校では生徒を演じ、家では子どもを演じている。だから、自分たちは”自分”を出せる場をつくるって言っているのが、めちゃくちゃ腑に落ちる。
イベントの途中で熊井さんに振られて話をしたんだけど、きっとこれは子どもだけじゃなくて、高齢者でも同じような課題があると感じている。
学校を卒業して、会社を退職すると、定量的な評価を受ける機会が殆どなくなると思うんだけど、病気になったり障害をもったりすると、またそれが始まる。介護保険制度などによる定量的な評価がそれ。
介護保険だったら要介護認定(要支援1,2、要介護1~5)があるんだけど、今までは学校の先生や親だったり、会社の上司に評価されてきたが、今度は地方自治体や医師、ケアマネージャーなど医療福祉の人間が評価をするようになるんだよね。
ここで、個人的に課題として思っていることは、【ワガママを言うと明日からちゃんと見てもらえないかもしれないから、医者や担当のケアマネージャーなどの言うことはちゃんと聞かなければいけない】、という考えが、本人や家族に強くある。と、感じることが多々ある。
こうなってくると、誰のために生きているの?って話になって、自分がどう生きて、どう死んでいきたいか、どこで誰と何をするのがしあわせで楽しいのか。ということを自分の口で言えなくなってしまうように思う。
こういう方達をたくさん見てきたし、今でもたくさんいる。
こう考えると、今の日本の教育は、意思決定する機会を希薄にしているんじゃないかなぁって思った。
他人のことを考えることはみんな好き?
だけど、一人称で考えたり、語ることは苦手?
つらつらと書いてしまいましたが、何が言いたいかというと、与える側(先生や医師など)も自分も楽しみながら一緒に学ぶ姿勢を持つことが大切なんだろうなと感じました。
向き合っている位置関係を、目的に向かって一緒の方向を見るという位置関係にして、一緒に学んでいくという姿勢が、このような問題と言われていることを少なくしていくことになるんだろうと思うな。
教育者だけじゃなくて、医療者にも佐伯先生の著書はお勧めしたい。