おわりとはじまり

 

2019年2月にシンクハピネスの新しい取り組みとしてスタートした武蔵野台商店は本日、5月31日をもって閉店となります。

1年3ヶ月、たくさんの方に支えられながら、この街で暮らすみなさんや商店を利用して下さったみなさん、そして京王電鉄さんと、みんなでお店をつくり続けることができました。

約1年の短い間ではありましたが、心より感謝いたします。

本当にありがとうございました。

 

 

写真を見ながら振り返っていましたが、1日1日とお店が変わっていき、1日たりとも同じ顔をしている商店はなかったんだなと、改めて感じています。

しげをを中心に、少しの変化を日々重ねてきました。

メニューはもちろんですが、声かけ、お客さんとの距離感、レイアウト、小物、証明の明るさ、店内表示などなど、出せばキリがありませんが、気づかない所でのほんの少しの変化です。

整頓するとか綺麗にするとかそういう所だけではなくて、そこに雑然や混沌をどうやって気持ち悪くないように混ぜていくか。そんな所も意識してやっていた所なんです。

駅という日常の場だからこそ、武蔵野台商店は非日常ではなくて、日常を感じられる場づくりをしてきました。僕らだけでやってしまうと、みんなにとっての日常ではなくなってしまうので、声かけてもらえたり、ちょっとした気付きだったりの余白を入れて。

 

 

この場所からの構図がすごく好きで、良く撮ってました。

少しずつ変わっているでしょ?

 

 

僕の中でお気に入りの時間は、朝7時くらいに西の窓から朝日が入ってくる時間。

 

このように、ちょっとした変化を重ね、2020年2月の1周年を迎えた所で、人の変化も目に見えるようになってきました。商店にはパートアルバイトスタッフが25名在籍していて、1人1人が自分の役割を持って動くようになってきたんです。お客さんにも変化があって、今まで来なかったような年齢の方だったり、夜の時間帯に人が集まるようになってきたり、1年経って動き始めてきたねって話をしていたら、4/8からの休業を判断せざるを得ない状況になってしまい、残念で仕方ないというのが正直な気持ちです。

 

 

イベントもたくさんやらせてもらいました。

僕らは明日死ぬかもしれないし、明日何かしらの病気を告知されるかもしれない。明日歩けなくなるかもしれないし、明日食べられなくなるかもしれない。明日話せなくなるかもしれないし、明日大好きな人を分からなくなるかもしれない。

もし何かあったとしても、好きなことを続けて暮らせる選択肢が沢山欲しいなと思って、武蔵野台商店では、暮らすための選択肢を増やせるようなイベントを企画しました。

これは、誰かのため、というよりは僕自身のためという所が大きかったです。

もし、今までと違う生活になったとして、与えられた選択肢だけでは満足いかないし、本当はもっと良い暮らし方あるんじゃないかって思って生きていくのは嫌だから、今から沢山の選択肢を持っておきたいなぁと思って、企画させていただきました。

たくさんの方に参加していただき、そして、たくさんの選択肢をいただきました。

 

 

そして、準備期間を入れると2年以上お世話になった京王電鉄さんにも心より感謝致します。地元でこのようなチャレンジをする機会を頂いたことは、僕らにとって忘れることのない経験になりました。本当にありがとうございます。

 

そして、この閉店をコロナだから…と、他責にして終わらせてはいけないと思っています。

ここ1~2ヶ月でお店の閉店や形態の変更を余儀なくされている経営者の方がたくさんいると思います。うちの場合も、コロナのせいで…と言ってしまえば簡単なのですが、全てがそこに当てはまるかというと、決してそうではありません。

まずは僕自身の責任。シンクハピネスが、僕が、武蔵野台商店を経営していくための、経験と知識が圧倒的に足りなかったということです。お金の回し方にしても、人のことにしても、企業とのやり取りにしても、自分自身の経験と知識が足りませんでした。これに尽きます。

閉店によって、たくさんの方の雇用を奪ってしまった。

しかも突然に。

ここに関しては、申し訳ない以外に言葉が見つかりません。シンクハピネスが事業を閉めるのは、今回の武蔵野台商店で2回目になります。前回は2018年にヘルパーステーションの閉鎖でした。

終わらせ方を常に考えておくのが良い経営者だと、昔誰かに言われたことがありましたが、当時は全く意味が分かりませんでした。

前回の閉鎖の時は、とにかく荒立てないようにということに精一杯で、結果、事務手続き的にも人事的にもトラブルなく終えられたのですが、今でもあの終い方はどうだったんだろうって心地よくない感覚を思い出すことがあります。こちらの都合で閉鎖になっているのに、さらに、荒立てたくないというこちらの都合を押し付けて、相手の感情を抑えつけていた気がします。

今回は、閉店の判断をした時から、”良い終い方”って何だろうという話をしげをとしていて、最後まで彼が中心になって話を進めてくれました。

もう少し時間が経てば、もっと良い選択があったのかもと思うかもしれませんが、現時点では最善の選択だったと思えています。

 

もう1つ。これからの駅のカタチを考えた時に、自分たちは必要なのかということを考えました。

駅を使って会社や学校、遊びに行くという選択肢しかなかった人たちが、オンラインなどの選択肢を持つことが出来たことで、会社や学校に毎日行かなくても良いんじゃないの?行ったとしても9時-17時にいる必要ってあるの?ってことに気づいた人がたくさんいると思います。

これは、それぞれの理想として今までも頭の片隅にあったのかもしれないけど、今までの”当たり前”があるので、それを選択するという行動に移すまでには至らなかったのではないかと個人的には思っています。

選択肢が増えたことで、駅のカタチも変わってくると思っています。僕らがやっていたような、駅を利用してのイベントだったり、飲食というのは、駅ではなく自分たちが住んでいる近場での需要が多くなってくるのではないかなと思っています。

そうなった場合に、僕らがやる駅での役割って何なのかをもう一度考えることが必要でした。とはいえ、駅の役割が全く無くなった訳ではなく、需要はあると思うので再開後を見据えて、何となく話をしてはいました。

 

コロナのせいにするのはすごく簡単で、コロナだから…と言ってしまえば、楽なんですよね。今回の件も、「コロナの影響で事業が継続出来なくなりました。ごめんなさい。雇用は○○日までで、保証は○○です。以上。」という終わり方にも出来ました。

そうではなくて、起こったことの本質と向き合い、自分たちが何を大切に暮らしているのか、何を大切に事業をしているのかを考え続けていくことが、コロナと一緒に暮らしていく上で大事なことなのではないでしょうか。

 

 

こうやって振り返ってみると、僕らはいつもたくさんの方にお世話になって、このまちで暮らしているんだと改めて感じました。商店がはじまる前からの方もいれば、商店がはじまってからの方も、本当にたくさんのたくさんの素敵なご縁をいただきました。

武蔵野台商店のみんなとはこれからもずっと一緒にやっていくつもりでいました。パートやアルバイトとか関係なく、今後ずっと一緒にやっていくにはどんな形があるんだろうって、あの人には村でこんなことしてもらいたいな、あの人には会社としてこんな仕事お願いしたいなって真剣に考えていました。

どれだけ寂しがり屋なんだって、また言われちゃいますね。

僕(ら)だけでは何も出来ないから、沢山の方に支え支えられ、補完しあって暮らしていると思っています。

いつも感謝の気持ちを忘れずに、またここから進んでいきます。

 

お店という”場所”はなくなってしまいますが、また別のカタチで”場”をつくっていきます。

もちろん、僕らだけでは出来ないのでみんなでね。

僕ららしく、ときをためながら、ゆっくりと。

いつも感謝の気持ちを忘れずに、またここから進んでいきます。

これからも、末長く、ずっと、よろしくお願いいたします。

 

じゃあ、またね。