認知症と共に笑顔で生きること

どーも。連日の暑さで、毎日Tシャツを3枚替えているかすやです。

 

さて、先日シンクハピネス主催で研修会を開かせて頂きまして、おれんじドア代表の丹野智文さんを府中にお招きし、講演&トークセッションを行いました。

丹野さんは39歳でアルツハイマー型認知症と診断されます。所謂、若年性認知症です。

当時は自動車販売会社の営業マンとして働いていて、商談したばかりのお客さんの顔や名前が思い出せなかったり、どのような話をしたのかも忘れてしまうという状況で、ミスを隠すために上司への報告では嘘を言うこともあったと仰っています。お子さんは小学生と中学生で、とにかく働かなければならないと経済面の不安も抱えながら生活を送っていました。

そんな中で、生き生きと笑顔で暮らす認知症の「先輩」たちと知り合い、自分が認知症ということを社会に打ち明けたことで、多くの人とつながり今の活動に至っています。

 

 

認知症を悪化させるのは家族。

丹野さんの講演の中で最も印象に残っている言葉がこれです。

こうやって文字に起こすとすごくインパクトありますね。僕が在宅リハビリテーションに関わっている10年間で何度もこのような現場を目の当たりにしたことがあります。

 

講演で地方に行くと良く聞かれる質問があるといいます。

「仙台からお一人でいらっしゃったんですか?」

 

丹野さんは地方での仕事はほとんど1人で行っています。新幹線のチケットは券売機では買えないけど、駅員さんのいる窓口では買える。「駅員さんに、若年性認知症で、切符の買い方を忘れたから教えてください。って聞けば、教えてくれますよ。」って丹野さんは笑いながらサラッと言っていました。

自分で聞ける人は聞けば良い。これはやらないんじゃなくて、家族がやらせないことがほとんどです。誰かが本人に話掛けているのに、家族が先に答えてしまう。危ないからと外出をさせずに、用事は家族が済ませてくる。

家族がやらせないで守ってしまう。

そうなると、本人はどんどん自信を失くして、家に閉じこもってしまい、悪くなっていく…

 

社会も受け入れる体制ができていない。

認知症なのに自販機でもの買えるんですね?
認知症なのにスマホ使えるんですね?

こんな事を良く言われると丹野さんは講演の中で仰っていました。

会場の人たちは笑っている人が殆どでしたが、正直に言うと、僕はこれを聴いて心の中の奥の奥の方をグリグリされている気持ちになりました。

きっと参加者の中にも、笑いながらもそんな気持ちになった人がいたと思います。いや、大多数がそうであって欲しいな。

 

講演の最後に丹野さんが、ある方を壇上に呼んで、マイクを渡すと言う場面がありました。

その方は今年の頭に若年性アルツハイマー型認知症と診断され、しばらく家に引きこもっていたんだけど、丹野さんが家に尋ねてきて、綺麗なんだからお化粧して外に出ないとダメだよ〜!って話をしてくれたのをきっかけに外に出るようになったと仰っていました。

当事者がどんどん社会に出ていき、自らの体験を話す人を増やしていく。その役割を丹野さんが担っていくと力強く話されていたのが印象に残っています。

 

終わってから飲みに行ってきたのですが、めちゃくちゃ気さくな方で、本当に認知症の症状が出るの?って思うくらい、僕にとっては普通のお兄ちゃんにしか見えなかったな。

僕ら医療福祉の専門家は既成概念に捉われ過ぎている気がします。
認知症だけじゃなくて、がんや介護度、性別、見た目…なども。専門家のマントを外したらどんな風に感じるんだろう。

僕らは医療福祉の専門家である前に、そこで暮らす1人の人。

1人の人として人の”暮らし”を見ることから始めることで、社会の空気は変わってくる。