利己と利他の真ん中よりも利己に近いところ
どーも、かすやです。仕事が納まる納まらないという世間の慌ただしさが今年はなんとなく心地良くなくて、なんでかなぁって考えていたら、そもそも何で納めるのだろうかなんてくだらないことを考え始めてしまい、ただ目の前の納まりそうもないタスクたちから目を逸らす理由をつくりたいんだなという結論に至ったところで、やっぱりタスクたちからは目を逸らしたいので一旦blogを描き始めようと決心しました。
さて、今年もあと少しということで、恒例の振り返りです。
今年は365日、全ての1日を楽しめたんじゃないかと思っています。
2021年は例年通りいつもの仲間と朝ランから始まり、1月4日に変則的に開催されたルヴァンカップの決勝@新国立でFC東京の優勝を味わい最高の年明けとなりました。
1月の終わりから1週間は、理事を務める一般社団法人CancerXのイベント『World Cancer Week 2021』があり、神経を張り巡らせた1週間だったなと今でも昨日のように鮮明に覚えています。終わったらバーンアウトするかと思うくらいでしたが、その後も若宮正子さんとの対談などなどのお仕事が続き、息つく間も無くあっという間に春が来ちゃったなぁという記憶です。
*CancerXは2022年1月30日〜2月5日に『World Cancer Week 2022』を開催するので、ぜひご参加くださいね。
2月は密かに願書を出していた大学院の入試があり無事に合格。久しぶりの面接に吐きそうになるくらい緊張した記憶があります。
ということで4月からは大学院で社会デザインを学んでいます。
社会にあるヒトモノコト、それぞれの境界線上にある価値をどのように曖昧にするか、または曖昧にせずにはっきりとさせるかなどを、コミュニティマネジメントや文化芸術、ジェンダー、対話、哲学などの学びや研究とシンクハピネスやCancerXなどの実践を行き来しながらインプットとアウトプットを繰り返し行なってきました。
梅雨明けした頃に、言っている事とやっている事と心にある事のバランスが何だか良くないなぁなんて思っていたら、段々と定まっていた(と思い込んでいた)自分自身の軸がズレはじめていたらしく、やばいぞ、調整出来ないぞーと気付いたのは晩秋くらいで、そこからなんとかバランスを取りながら12月31日に至っております。
10月くらいからblogの更新頻度が増えていましたが、アプトプットして皆さんからの反応をいただきながらリフレクションをしていました。
皆さんのお陰で今は、たぶん、なんとなく、バランスが取れなくなっていた理由が明らかになっていて、ここは自分にとってはすごく根幹のところなので、冬の初めにここに気付いた自分を褒めてあげたいと思いますw
12月1日に書いたblogなんだけど、ここら辺でなんとなく明らかになってきたんじゃないかなって思っています。SNSでもたくさんのコメントをいただき感謝です。
ではでは、なんでこんな状況になっていたのかってところを振り返ってみるとしましょう。
2020年の年明け早々に「スタッフがそれぞれの意思で自由に走ったり立ち止まったり戻ったりできる場をつくる!」と宣言して、社労士さんやアドバイザリーボード的な役割を担っていただいている方たちに連絡しまくってから2年が経ち、2022年の春には、場が出来そうな状況になってきました。
この”場”というのは、労務関係や人事制度、学びの体制など規程類の大幅な改訂と中期経営計画の立案と実行のことを指します。
ここを少しだけ説明すると…
これまで、足すことや広がることを中心に動いてきたシンクハピネスでしたが、2019年の終わりに、”いま”のしあわせを創る。というシンクハピネスの理念からズレてきてしまっているのではないか、と考えたことが動き出すきっかけになりました。
僕たちは、「まずは自分のしあわせ、そして周りにいるスタッフのしあわせ、さらにスタッフの家族、関係している方、そしてまちで暮らす人、そしてまちへしあわせが広がっていく」という考えのもとに日々動いています。しかし、2019年の段階ではまちや人に対しての動きが殆どで、『スタッフのしあわせ』に関しては、何も考えられていなかったのではないかと振り返ったんです。
みんなには「自分が面白がって楽しんで」と、『ある程度の自由』は許容しているんだけど、『ある程度の自由』に対して会社としての定義がなかったので、自由に泳いで迷子になってしまったり、途中で溺れてしまったりと、会社としてみんなへの安心安全の場をつくることが出来ていなかったと気づきました。
これを機に、自由に泳いで帰ってくる場(場所)とか逃げ場みたいなところをつくることを目的に2年かけてみんなでやってきました。
この2年間をみんなで振り返ったんですが、かなりしんどかったという声があがりました。
正直なところ、自分もめちゃくちゃきつかったので、みんなにとっては逃げたくなるくらいの作業だったんじゃないかなと思います。(この中期経営計画は一旦完成していますが、人事制度の改訂はまだまだ続いていますので、このプロジェクトに参加しているスタッフはもうちょっとしんどい時間が続きますぜ)
何が大変だったかというと、『手を動かすこと』ではなく、『コミュニケーション(議論、対話、雑談)を重ね、合意形成を取りながら進めること』が心底大変な作業だったのではないかと思います。代表や一部のスタッフの意思でつくってしまえば簡単なんだけど、そんな規定は使い物にならないということは今まで嫌というほど経験してきたので、覚悟を決めてみんなとコミュニケーションを取りながらつくることにしました。
すぐに答えを出さずに合意形成を取りながら進めるということが本当に大変なことなんだと2年間で学びました。僕自身、すぐに答えを欲しがってしまうタイプだったので(今でもそうだと思う)、合意形成の作業は何をしたら良いか分からなかったですし、ただ話すだけではダメなんだとか、どんな距離感で話をしたら良いのかとか、色んな経験になりました。
たくさんの色んな配慮が必要でした。
・参加している(そこに参加していない人も)意見が言えるような心理的安全な場の設定
・誰かと誰かの中間の考え方
・代表としての未来の視点を語るリーダーシップ
・ファシリテーター or 代表 or 1人の人、どの立場で参加するのか
・その人(その部署)の未来を一緒に見る
・対話の能力
・コーチング的な要素
・いきなりMTGで話し始めるのではなく、それまでに何となく意識をしてもらうような仕掛け
・MTG後に再度振り返られるような仕掛け
などなどなど…。
(こういうの書いているをワークショプデザイナーのしげをが、今までどれだけ配慮をしてきたのかよーーーく理解出来ますw)
こんな大変なことを自分1人で進めるなんて到底無理なので、管理者中心にシンクハピネスのスタッフや外部の方の力をお借りして進めてきたんだけど、会議に向けた打ち合わせもすごーく労力を使います。シンクハピネスのスタッフは看護やリハ、ケアマネジメント、コミュニティマネジメントという現場を抱えながらやっているので、約2時間のMTGが良い時間になるように、準備は念入りに。
ここから、本題ですよ。
上であげたいくつかの要素の中で立ち位置のことを書きましたが、この立ち位置をはっきりさせないで、年間を通して対話や議論を繰り返し行なってきた結果、徐々に「自分はどの立場でこれを言っているんだっけ」ということを思うようになったんです。
時には代表として、時には社員として、時にはそのどちらでもない1人の人として、さらに、時には判断する人として、時にはファシリテーターとして、時には好き勝手意見を言う人として、みたいな感じで進めていると、訳が分わからなくなってきてしまって…。
最後には合意形成を取って判断をするんだけど、代表の立場に戻したときに、何だかすごく孤独を感じてしまうようになっていて、一体この気持ちはどこから来ているんだろうと考えるようになりました。
その頃見ていたNetflixのザ・クラウンが面白くて、自分と重ねながらこんなblogを書いていました。
ここから簡単には抜け出せずに、この進め方はみんなの合意形成を取れているんだろうか、みんなかすやのやりたいことを汲んでくれて意見をしてくれているのはないか、自分自身がみんなの意見を言えない場をつくってしまっているんだろうか、と色んな想いが溢れ出します。
めちゃくちゃ不安だったので、『かすやに言いたいことを言う会』をやって欲しいと管理者に懇願し、たくさんの意見をもらったんだけど、最終的には『自分がみんなに何をしてもらいたいか』を伝える時間になり、煮え切らず終了。
その後も、駄々っ子みたいに、自分の意見を主張することを続け、挙げ句の果てには、『コンディション悪いから構ってくれ』と言う始末…。
これが11月の終わりくらいだったと思うんですが、酷過ぎましたね…。
それぞれがそれぞれの距離感で見守ってくれていたと思います。うちの良いところは、僕がこんな状況だからって近くに来る人がいないところです。寂しいけど、これもみんなの愛と理解していますw
2021年は『”相手が”何をしたいかではなく、まずは”自分が”何をしたいかを考える』だとか、『誰かの問いを解くことは出来ないから、まずは自分の中の問いを解く。それが相手の問いを解くことになる。』なんて話を研修などでたくさんしてきましたが、『自分が』に振り過ぎていたんだと思います。
自分の意思や自分が見ている未来を語ることは必要です。だけど、その時の自分のコンディションが悪い原因を知ろうとせずに、相手にばかり求めてしまうことは良くなかったですね。
「コンディション悪いから助けてとか、わかって欲しい」と、自分の思いが強くなり過ぎていました。
振り返ってみると、この時期は余裕がなかったんだろうなと思います。
社会デザインの考え方が自分の中に入ってきて、今まで潜在的に意識していたものが、顕在化してきたことで、よりヒトモノコトの中間を意識するようになった1年でした。
この学問は答えのないものだと思っていますが、答えを出すためにはすごく大切な学問です。僕らの暮らしは、大なり小なり答えを出すことや判断することが連続的にやってきます。
答えを出すこと(判断すること)と答えを出さないこと(判断しないここと)、この2つを行ったり来たりすることが今の自分の役割だと感じています。ただ、ここで忘れてはいけない大切なことがあって、それは『自分に軸を置きながら』ということです。そうしないと自分が何をしたいのか分からなくなってしまうんだと思います。僕が秋にそうなっていたように。
自分に軸を置き、『代表として/1人の人として/団体の1員として/敦子の息子として/理学療法士として/府中市民として/日本人として/男性として』など、時と場合で色んな仮面をつけられるようになることが大事なんだろうなと腹落ちした1年でした。
ちなみに去年最後のblogを読み返してみたら、同じようなことを書いていて、自分の役割や立場に関して、軸が見えてきたと言いつつも迷走していたんでしょうね。
『正義の反対は、もう一つの正義だ』なんて誰かが言っていましたが、誰かが楽しいって感じていたら、一方では楽しくない人がいたり、悲しいって感じていたら、一方では楽しいって感じている人もいます。
人と人、人とコト、人とモノ、という2つの対象ではなく、その他にも目を向けて、答えを出したり出さなかったり、判断したりしなかったりすることが、来年の自分の役割かなと感じています。
『自分に軸を置きながら』です。
最後に。
2021年はとても大切なことを忘れかけていました。
顔を上げてみると、いつも誰かが周りにいて、それぞれの距離感でサポートをしてくださっていることに気づきました。それなのに、自分のバランスが崩れると『自分ばかり大変だ』となっていたことに反省…。
おそらく、近くにいる人ほど感じていたんじゃないかなと思います。
そんな近くにいてくれる人たちは、僕の醜態を横目に今年も素敵な変化を見せてくれました。
自分の言葉で未来のことを語ってくれるようになったり、対外的にも対内的にも会社と自分を主語にして話をしてくれるようになったり、根幹を揺るがすようなことが起きたけどみんなで一緒に乗り越えてくれたり、自分が主役にならないでより場が自走するような仕掛けをし続けてくれたり、経営面でも関わってくれるようになって自分の荷物を渡せるようになったり、先に進むために大切なものを手放すことをしてくれたり、振り返るとそれぞれにたくさんの変化がありました。
去年も何かしらの変化を感じていたと思いますが、このような視点で見ることはなかったと思います。全てのスタッフに言えることですが、それぞれが自分の役割を考えながら変化し続ける姿勢を見せてくれた1年でした。
最後の最後に。
今年も言わせてくださいね。
僕にとっては皆さんが原動力になっています。
日々、シンクハピネスとたまれとかすやを支えてくださっている、たくさんの方に感謝の気持ちでいっぱいです。
2022年も人と人、人とまちの境界線上にある、お互いの「ちょうど良いところ」を探しながら、医療と暮らしを軸に新しい在宅医療・福祉のカタチをみんなでつくっていきます。
個人としては、みなさんからワクワクとドキドキ、時にはハラハラをいただき、進んだり戻ったり立ち止まったりして、自分が上書きされ続ることを楽んでいきたいと思いますので、引き続きかまってください!!
皆さんにとって、2022年も素敵な1年になりますように。
来年もどうぞ宜しくお願い致します。
では、またね〜〜!